ダッソー・システムズでは、社員に対して「IFWE(もし◯◯ができたならば)、世の中をこのように変えられるのではー」という4つの価値基準(コア・バリュー)を掲げています。 お客様の課題解決であれ社会に関わる取り組みであれ、これらの価値基準をもとに自らに問いかけ、チームを作り、アイデアを形にしていきます。 この「IFWE日記」シリーズでは、パラアスリートとして車いす競技で活躍し、起業家としても活動する当社の社員、官野一彦(かんの・かずひこ)が、どのようにこの4つの価値基準を体現しているか、ブログ形式でお伝えしていきます。
こんにちは。官野です。4月27日から5月21日まで、ワールドカップ第2戦ベルギー大会と、パリパラリンピック最終予選となるワールドカップ第3戦イタリア大会に出場しました。パラサイクリングへの競技転向3周年を迎え、会社や応援していただいている皆様のサポートがあってここまで来られた事に心から感謝しています。
今回の遠征については、ベルギー大会、フランス本社訪問、イタリア大会、と3回のブログに分けてご報告させて頂きます。今回のベルギー、イタリアでの大会の目標は入賞する事でした。そしてそれがパリパラリンピックの選考において重要な意味を持ちます。
まず、ベルギーのオーステンデという海沿いの街で行われたレースですが、昨年初めて出場したワールドカップと同じ会場でした。ほぼ平坦の約20㎞のタイムトライアルと、約50㎞のロードレースに出場しました。結果から言うとタイムトライアル13位、ロードレース10位でした。
タイムトライアルはレース中に自転車のチェーンが切れかかるアクシデントでギアの切り替えがうまくいかなくてスピードが上がらず、思うように走れませんでした。
ロードレースは最終周まで11位の選手の後ろにずっとついていきました。コースには大きなコーナーが4つあり、最初のコーナーからアタックして残り3キロを振り絞って走り、残り200メートルでもう一人抜き、10位でフィニッシュしました。
昨年よりタイムもレースもプラン通りうまくいきましたが、パラリンピック前で新しい選手も入り、順位は昨年と変わりませんでした。結果は決して望んだものではありませんでしたが、自分の力を全て出し切れた事には満足しています。
昨年は何も分からないまま、ただ全力で自転車を前に進める事だけ考えていました。今回は、タイムが上がったことだけでなく、走りながら作戦や勝負所を見極めて走れ、自転車のレースが出来るようになってきました。
挑戦➡学び➡挑戦のサイクルが私を成長させ、それはたくさんの人の協力によって支えられています。それは私自身がゆるぎない情熱を持って競技に取り組めているからこそ多くの人に協力していただけているのだと確信しています。次回は、ダッソー・システムズのフランス本社訪問についてです。
パラサイクリングとは
パラサイクリングは、1984年のニューヨーク・アイレスベリーパラリンピックにてロードが正式競技となり、1996年のアトランタパラリンピックにてトラックも正式競技となりました。視覚障害と運動機能障害の選手が出場する種目で、障害のクラスに応じて使用する自転車が異なり、通常の2輪自転車、3輪の自転車、手でペダルをこぐハンドサイクル、視覚障害の2人乗りタンデムの4種類があります。
<官野一彦のIFWE日記 バックナンバー>
官野一彦のIFWE日記:第15回 アメリカでの強化合宿とレース
官野一彦のIFWE日記:第14回 オーストラリアでのパラサイクリング ワールドカップ
官野一彦のIFWE日記:第12回 国立障害者リハビリテーションセンター研究所との取組み
官野一彦のIFWE日記:第11回 アラバマ州での遠征を終えて ~コミュニティの力が1つになれば手を取り合ってゴールを目指せる~
官野一彦のIFWE日記:第10回 ヨーロッパ遠征~学ぼうとする情熱が創造性を高め未来への懸け橋となる~
官野一彦のIFWE日記:第9回 周りに感謝し、手を取り合って前に進む
官野一彦のIFWE日記:第8回 濃霧で視界が悪い中での挑戦 | 米国テキサス州遠征での学び
官野一彦のIFWE日記:第6回 トレーニング場所を巡る葛藤、米国での驚き、そしてユニバーサルジムの設立へ
官野一彦のIFWE日記:第5回 不貞腐れていた時期、気付き、そして恩送り
官野一彦のIFWE日記:第4回 シドニー以前と以後 挑戦と成長のサイクルを信じる
官野一彦のIFWE日記:第3回 五輪金メダル獲得に向けて・・・コミュニティと一緒に歩んだオリンピックロード