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官野一彦のIFWE日記:第4回 シドニー以前と以後 挑戦と成長のサイクルを信じる

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Avatar 官野一彦 (Kazuhiko Kan’no)
2019年、米フロリダ州タンパでプレー中の筆者

葛藤と現実のはざまで

2018年にシドニーで世界選手権が行われました。メンバーと参加しましたが、終始自分への葛藤と現実とのはざまで苦しんでいました。試合に出られない、自分はチームに必要ないのか、東京には選ばれないのではないのか、常に脳裏を駆け巡るものは決してポジティブではない感情でした。日本チームは準決勝で優勝候補のアメリカを圧倒し、続く決勝では地元オーストラリアに接戦の末に勝利、世界一の称号を手に入れました。しかし自分は準決勝と決勝では全く試合には出ていません。取材を受けた時にも言いましたが、嬉しさ2、悔しさ8です。それが素直な気持ちでした。合宿でも若い選手に追いやられていき、チームに必要とされていない、でも東京まで残りたい。監督に認められるプレーがしたい。焦りや不安でいつしか鬱(うつ)症状が発症するようになってきました。競技中に冷や汗や動悸を起こすようになっていきました。気が付いた時には競技そのものを全く楽しめていない自分がいました。

2019年8月の合宿からメンバーから外されました。東京パラリンピックへの出場に黄信号が点灯したのです。この時点で引退が頭をよぎりました。辞めたら楽になると何度も思いました。ただ、ここで辞めた時、この先も辛い事や壁にぶつかった時に逃げてしまう人間になってしまう気がしました。「自分に負けたくない」この想いだけが体を動かしていました。2019年末に行われる日本選手権にパフォーマンスを発揮して、日本代表合宿に戻れるように準備をすることに集中しました。合宿で人がいなくなった体育館で一人来る日も来る日も走っていました。精神的にも肉体的にも辛く泣きながらトレーニングをしていたことは忘れません。

2020年1月の代表合宿には召集されることはありませんでした。ここで目標としていた東京パラリンピックへの夢は断たれました。引退を決めたとき、清々しい気持ちがありました。きっと諦めず目標まで走り切ったことがそのときの満足感に繋がったのかなと思います。そして、その気持ちが次の挑戦に向かう原動力になったのは言うまでもありません。

挑戦をやめない、成長を止めない

パラサイクリング競技用車いすの調整作業

引退を決めてから1か月、何もせずゆっくり休みました。その時、今後の自分について考える時間が出来ました。ずっとやりたかった二つのこと。アメリカで楽しかった外を走ること。もう一つが、社会貢献です。これらをゆっくり形にしていこうと動き出しました。

会社(ダッソー・システムズ)には、競技転向と社会貢献をしたい旨、相談しました。正直これで契約が切れてしまうかもと思っていましたが、答えは「いいじゃないか」というものでした。本当にこの会社に入って良かったと思うのと、この会社に恩返しがしたいと思いました。競技者として引退を意識し始めているなか、ここまで頑張って来られたのはたくさんの人に支えてもらえたからです。今度は自分が返して行く番だと思っていたからです。これまでのキャリアを生かして障害の有る方や、関係者に喜んでもらえるサービスを提供しようと考え始め、2020年4月1日にTAGCYCLE株式会社を設立しました。社名のTAGはTry And Growの頭文字からとりました。

あわせてパラアスリートをはじめとする障害者のためのユニバーサルトレーニングジムを、2020年12月4日にオープンさせました。障害者住宅のコンサルタントや講演・セミナーを行い、社会に貢献できるよう事業展開したくさんの方が幸せになってもらえるよう精進していきます。

そして、もう一つやりたいと願っていた「外を走る」こと。パラサイクリングへの競技転向を心に決めて、動きだしました。コロナ禍で国際物流が滞る中、ようやく今年になって念願の競技用車いすが米国から届き、さっそく乗ろうと思いました。ラグビーをしている時と一緒で、パラサイクリング専用の車いすを体に合わせる調整が多々ありました。体に合わせてスポンジを入れたり、ウレタンを削ったりして調整します。現在でも調整に苦労しているのが、漕ぐために必要な手の部分です。パラサイクリングではハンドル兼ペダルを全て手で操作しなければなりませんが、障害上ハンドルを握ることが出来ない私の場合は、ここに一工夫も、二工夫も必要となります。手型を取って少しでも握れないことによるロスが出ないようなグリップ作りが必要になります。これは競技における「命」と言っても過言ではないと思います。長い時間をかけて改良を繰り返し、ベストを探していく作業をしています。コロナの影響があるので、今はローラー(屋内のマシン)でのトレーニングを繰り返していますが、いずれ外でのトレーニングを開始できるよう着々と準備を続けています。

挑戦が成長につながり、成長することで新しい挑戦の機会が見えてくる、挑戦と成長の繰り返しが新しい世界を拓くのだと日々感じています。 (次回に続く)

<バックナンバー>

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