医療技術に関わる企業は、製造業で数十年前から使用され実証されている3Dモデリングおよびシミュレーション技術を、医療技術に特有の設計課題に応用しています。3Dモデリングとシミュレーションは、設計テストと最適化を迅速に行うことから、患者ごとに異なる生理機能に対して医療機器がどのように機能するかを予測することにも適用できます。
エドワーズライフサイエンス 社(米国カリフォルニア州)が、心臓弁置換のための開心術を不要にする第1世代の経カテーテル植え込み型心臓弁の設計に着手した当時、このプロセスは最初のステップから規制当局による承認まで9年かかりました。それからさらに11年後、設計プロセスの早期段階で最新のモデリングおよびシミュレーション技術を使用した結果、第3世代の心臓弁は、計画段階から規制当局による承認までの期間が半分以上短縮されました。
エドワーズライフサイエンス社のエンジニアリング担当シニアディレクター、Hengchu Cao氏は次のように述べています。「構造はほぼ全面的に再設計されましたが、設計変更を効率化することでプロセスを迅速化でき、臨床パフォーマンスの大幅な改善と手順の飛躍的な簡素化につながりました。さらに重要なことに、多くの改善を加え、より多くの患者を支援し、より大きな団体を作って心臓病への取り組みを行ってきました」
時間短縮の秘訣は、心臓弁の3Dシミュレーションを科学的に正確に行うことで、有利な条件と課題を把握し、それらを管理できるようになったことです。シミュレーションはコンセプトの初期段階から始まりました。エンジニアはこの段階で、狭窄、大動脈閉塞、大動脈弁逆流がある場合に、人体の血流に何が起こるかをバーチャルモデル化できます。次に、人工弁が植え込まれた時にどのような変化が起こるかをシミュレートして、血流への影響を明らかにし、心臓の反応を予測することができます。
Cao氏は次のように述べます。「機器を使用した場合に何が起こるか、体内でどのような変化が生じるか、そしてそれらが全体的な解剖学的構造と生理機能にどのように影響するかを、シミュレーションによって知ることができました」
ヘルスケア領域においてモデリングとシミュレーションの採用が進んだのに伴い、機器設計が改善され、機器が身体にどのように影響するかについての理解が深まった結果、より多くの医療機器をより迅速に市場に投入できるようになっています。実際、アメリカ機械学会(ASME)は2018年にモデリングとシミュレーションの潜在能力を調査し、「医療機器業界に革命を起こす有望な技術」であるとを認定しました。
ASMEはモデリングとシミュレーションの主な利点として次の 3 点を挙げています。まずコストを削減できること、そして実行可能なテストの回数が増えるため、機器の信頼性が向上することです。さらにもう1点、「現実の世界では極めて困難なテストを実行できること、たとえば、人体を使うことが不可能な実験や、高度な機器を使うことが難しいテストを行えること」です。
医療機器の分野では、シミュレーションが非常に有望視されています。アメリカ食品医薬品局(FDA)が医療機器革新コンソーシアム(MDIC)を後援し、心臓や血管を扱う機器、整形外科、血液損傷、さらには人体の発熱を伴いかねない脳刺激療法やMRI を評価する目的でシミュレーションの利用を推進しているのはそのためです。
FDAの医療機器・放射線保健センターで規制顧問を務める Tina M. Morrison氏は、モデリングとシミュレーションの技術について次のように述べています。「コンピューターで制限なく何度でもシミュレーションを行い徹底的に評価できるため、医療機器の信頼性の向上につながります。また、実験動物モデルや人的データへの依存を減らし、コストを削減して、イノベーションを加速することが可能です。これらのメリットがあるため、モデリングとシミュレーションは他分野と同様に医療分野にも革命を起こすものと期待されています。」 さらに、モデリングとシミュレーションの研究結果を規制当局への承認申請に使用するためのガイダンスがFDAからすでに発行されており、結果が正確であるかどうかを検証および確認する基準が現在開発されているとも述べました。
MDICはまた、さまざまな健康状態を反映して適応できる人体全体のシミュレーションである「バーチャル患者」の開発にも取り組んでいます。研究者はバーチャル患者を使用すると、特定の機器が何千人もの患者に植え込まれたときに何が起こるかをシミュレートできるため、大規模な治験の必要性が低減されます。Morrison氏によると、患者の血糖値を測定して、その患者に施すべき治療を決定できるシミュレーション技術を組み込んだ人工膵臓は、現在開発中の機器の例です。
製造から医薬品への道
あらゆるタイプの製品設計を作成およびテストするコンピューターモデリングは数十年前から利用可能ですが、物体の幾何学的設計や形状のみを生成するものが一般的でした。真の意味での技術革新は、幾何学的設計の数理モデルを作成するシミュレーション機能が追加されたことです。科学的に正確な数理モデルを使用すると、機器の設計を仮想的にテストし、その機器を使用する予定の実際の環境をシミュレートして機器を操作することができます。これにより研究者は、物理的なプロトタイプを作成する前に、設計のさまざまなバリエーションを試して完成させることができます。
航空機業界では、航空機部品の耐久性、柔軟性、応力をテストする目的で、シミュレーションソフトウェアが数十年にわたって使用されています。そして今、ライフサイエンス領域向けのシミュレーションソフトウェアによって、医療機器のシミュレーションに使われる数理モデルに化学的要素と生物学的要素が追加されています。このソフトウェアは、実世界のデータを使用して数理モデルを測定します。
たとえば、閉塞した動脈を開くためのステントを設計する場合、エンジニアはステント自体をシミュレートするだけでなく、血管とステントの相互作用もシミュレートする必要があります。このプロセスを境界条件と呼びます。製造時に実質的に均一性が担保されている自動車や航空機とは異なり、人間は一人ひとりが物理的・生理学的に異なります。そのためシミュレーションは、個々の血管の特性に適応して、心拍を作る精巧な化学プロセスを再現するとともに、それぞれの血管の弾力性や耐久性も再現できなければなりません。
エドワーズライフサイエンス 社の Cao氏は次のように述べています。「ハイパフォーマンス・コンピューティングと大規模なデータセットの組み合わせが利用できることにより、イノベーションが加速し、製品を短期間で市場に投入できるようになっています」
内部を可視化する
米国に拠点を置くコンサルティング会社 Thornton Tomasetti でライフサイエンス部門の責任者を務めるAshley Peterson氏は、シミュレーションの利点の 一つとして、規制当局への承認申請プロセスの一環として企業が実行する必要のある物理的なベンチテストを補完できる点を挙げています。
Peterson氏は次のように述べています。「ベンチトップテストではできないことをモデリングとシミュレーションで行うことが可能です。ベンチトップテストでは隠れて見えない可能性のある構造の内部を調べることができます。ツールを使用すると、基礎となる物理方程式が解かれるため、設計のさまざまな要素で何が起こっているのかを確認できます」
シミュレーションを使用して機器の設計情報を提供する場合は、シミュレーションの出力が正しいことを確認する必要があります。これを行うために、シミュレーション検証が使用されます。Peterson氏によると、検証とは、計算モデルが物理的状況の現実をどれだけ正確に表現しているかを評価するプロセスのことです。
「モデリングとシミュレーションを使用する最大の利点の一つは、人体構造のすべてのバリエーションに設計を適応させてテストし、互換性があるかどうかを確認できることです」Ashley Peterson氏 Thornton Tomasetti社ライフサイエンス部門責任者
モデリングとシミュレーションは設計プロセスを加速し、時間とコストを節約しますが、設計プロセスの早い段階でシミュレーションを実行するもう一つの大きな利点は、それまで知らなかった情報を入手できることであると、Peterson氏は述べています。たとえば、提案された設計が望ましい結果を生み出していない場合、研究者はシミュレーションを行って詳しく調査し、設計の一部を変更して、結果がどのように変化するかを確認できます。
Peterson氏は次のように述べています。「設計について理解を深めることで、最終製品の完成までにかかる時間をかなり短縮できます」
シミュレーションを使用する最大の利点の一つは、人体構造のすべてのバリエーションに設計を取り入れてテストできることです。Peterson氏はさらに次のように述べています。「たとえば、特定のニーズを抱えている人の中の 60%に対して機能するよう設計したい場合は、その設計を想定しうる人体のバリエーションすべてで試すことができます」
さらに、ライフサイエンス領域でのモデリングとシミュレーションの用途は今後特に拡大していくでしょう。ソフトウェアが広く採用されるにつれて、開発段階から上流および下流に移動できるようになります。たとえば、研究者は モデリングとシミュレーション を使用することで、機器の設計だけを調べるのではなく、医師や機器利用者が抱えている潜在的な要件を特定できるようになると、Peterson氏は期待しています。また、物理モデルの構築とテストの前に、さまざまな患者で機器がどのように使用されるかをシミュレートして、患者が機器にどのように反応するかを明確に把握しておくこともできます。
Peterson氏は次のように述べています。「一つの側面だけを調整するのではなく、最初から最後まで、つまり機器が実際に使用されるようになるまで、価値を追加し続けることが可能になります」