ダッソー・システムズでは、社員に対して「IFWE(もし◯◯ができたならば)、世の中をこのように変えられるのではー」という4つの価値基準(コア・バリュー)を掲げています。 お客様の課題解決であれ社会に関わる取り組みであれ、これらの価値基準をもとに自らに問いかけ、チームを作り、アイデアを形にしていきます。 この「IFWE日記」シリーズでは、パラアスリートとして車いす競技で活躍し、起業家としても活動する当社の社員、官野一彦(かんの・かずひこ)が、どのようにこの4つの価値基準を体現しているか、ブログ形式でお伝えしていきます。
皆様こんにちは、ダッソー・システムズの官野です。
2月26日にテキサス州ガルベストンで行われた『GALVESTON Marathon』のハンドサイクル42.195㎞部門に参加してきました。 ガルベストンはテキサス州の最も南に位置する離島で、メキシコ湾に囲まれたリゾート地です。 レース会場は海沿いを走る平坦なコースだったので、とても良い環境で走れるかもしれないと期待していました。 しかし、シーズンオフのため気温は低く、朝晩の冷え込みと何よりも前が見えないほどの濃霧が毎日続き、非常に過酷な環境下でのレースとなりました。
前回のフロリダ州のレースはアップダウンあり、悪路ありで非常にタフなコースで多くの学びがありました。 一方で、今回のレースは選手も少なく、ほぼ平坦が続くコースでした。 5月にベルギーで行われるワールドカップに出場予定ですが、こちらも海沿いでほぼ平坦なコースと聞いているので、今回のレースは「仮想ベルギー」のつもりでチャレンジしてきました。
レースの当日は、朝7時スタートのため会場に5時半入りしましたが、霧が凄く目の前が全く見えないような状況でした。レースが始まると、付けていたサングラスの湿気により、さらに視界は遮られ、ヘルメットからは雨でもないのに水がしたたり落ちるようなコンディションでした。
コースを間違えたり、Uターンが出来なかったりしたためタイムが思わしくなかったですが、厳しい環境下でも1時間50分を切るタイムで無事に完走できました。前回のレースの失敗を踏まえて走ることができたこと、新たな課題が見つかったこと等、今回も実りのある遠征となりました。
私の以前の競技種目であった車いすラグビーは室内の競技だったため、天候や気候、コースに影響を受けやすい自転車競技に移行してからは、発見や挑戦の毎日でいることを実感しています。
当社バリューであるIFWEの中の一つ、『学ぼうとする情熱が創造性を高める未来への懸け橋になる』は、私自身の未来に対しても励みになりますが、皆さんにも大きなメッセージを届ける事が出来るのはないかと思います。今後も私の挑戦を通じて、学びへの情熱が大きな未来に繋がるんだと体現していきたいと思います。(次回に続く)
パラサイクリングとは
パラサイクリングは、1984年のニューヨーク・アイレスベリーパラリンピックにてロードが正式競技となり、1996年のアトランタパラリンピックにてトラックも正式競技となりました。視覚障害と運動機能障害の選手が出場する種目で、障害のクラスに応じて使用する自転車が異なり、通常の2輪自転車、3輪の自転車、手でペダルをこぐハンドサイクル、視覚障害の2人乗りタンデムの4種類があります。
<官野一彦のIFWE日記 バックナンバー>
官野一彦のIFWE日記:第6回 トレーニング場所を巡る葛藤、米国での驚き、そしてユニバーサルジムの設立へ
官野一彦のIFWE日記:第5回 不貞腐れていた時期、気付き、そして恩送り
官野一彦のIFWE日記:第4回 シドニー以前と以後 挑戦と成長のサイクルを信じる
官野一彦のIFWE日記:第3回 五輪金メダル獲得に向けて・・・コミュニティと一緒に歩んだオリンピックロード