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People ProfilesJuly 14, 2021

官野一彦のIFWE日記:第6回 トレーニング場所を巡る葛藤、米国での驚き、そしてユニバーサルジムの設立へ

なぜ私がこのユニバーサルジムを事業として行うことにしたのかをお伝えしたいと思います。
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Avatar 官野一彦 (Kazuhiko Kan’no)

ダッソー・システムズでは、社員に対して「もし◯◯ができたならば、世の中をこのように変えられるのではー」という4つの価値基準(コア・バリュー)を掲げています。お客様の課題解決であれ社会に関わる取り組みであれ、これらの価値基準をもとに自らに問いかけ、チームを作り、アイデアを形にしていきます。この「IF WE日記」シリーズでは、パラアスリートとして車いす競技で活躍し、起業家としても活動する当社の社員、官野一彦(かんの・かずひこ)が、どのようにこの4つの価値基準を体現しているか、ブログ形式でお伝えしていきます。

今回は千葉市緑区に構えた障害者の方がトレーニング出来るユニバーサルジム「TAG TRAINING GYM」についてお話させていただきます。

度々ブログで伝えていることですが、改めてなぜ私がこのユニバーサルジムを事業として行うことにしたのかをお伝えしたいと思います。

TAG TRAINING GYMにて、実弟(右)と

私が競技を始めた2006年、当時私の住んでいる地域にあった公営のトレーニング施設や体育館では、「床が汚れや傷が付くから(車いすでは)利用できない」と言われたり、「障害者がトレーニングをする場合は介助人を連れてきてください」と言われたりしました。別の施設では、「普段お使いの車いすを室内用車いすに乗り換えてください」、と病院にあるような一般的な車いすを用意されました。一般的な車いすは自走式ではなく、あくまで介助者が就くことを前提とした車いすの形をしています。私のように自分の力でどこにでも自分で車いすを漕ぐ人間にとっては、(自分の力で漕ぐ機能のない)一般的な車いすに乗り換えるということは、ほとんど自分の意思では動けなくなってしまうことを意味します。いずれもそれぞれの施設のルールなので、従うことでしかそれらの施設を利用することが出来ませんが、ルールを作った方は明らかに健常者の視点のみで考えていて、「車いすを利用している人はすべて一緒だ」と考えているのだな、と感じました。正直頭にきて「じゃ、いいです」と断って帰ったこともありました。窓口の方もルールに基づいて説明してくれていたので、決してその方は悪くないのに、自分は大人げない態度をとってしまったな、と今は反省しています。

とはいえ、実際のところ、当時はトレーニング場所を確保に本当に苦労しました。結局、私が選んだのは、自宅にトレーニングマシンを揃えて自宅でトレーニングを行うことでした。予算もなく、また木造住宅では施設にあるようなマシンや環境を揃えることは不可能でしたが、それでも自らの意志で自由に使えるマシンを持つことにより、パラリンピックを目指しトレーニングをするというモチベーションが下がることはありませんでした。

初めて出場したロンドンパラリンピックまで6年かかりましたが、もしその時のパラアスリート向けの環境が今くらい整っていたら……と考えることがあります。だからこそ、若い選手やこれからスポーツを始めようとしている障害者の方が、今の環境を使って自らの実力をキープし、さらに高みを目指せるような活動をしていくことが、そして障害者スポーツの理解と発展に携わっていくことが大事だと思うようになりました。

また、2017年から2シーズン続けてアメリカリーグに挑戦した際、アメリカでは生活の中にトレーニング環境がしっかり根差していたことに大きな影響を受けました。アメリカではトレーニングジムで利用を断られることは一切なく、むしろ「やりたいマシンがあれば手伝うよ」と声を掛けてもらえました。「みんな車いすにいつかなるんだから」と笑いながら言っていました。これは「誰でも(マシンを)使えることが当たり前だ」という考えがベースにあるのだと解釈しました。日本のバリアフリーが欧米に負けているとは全く思いません。しかし、もし違いがあるとすれば、日本でのバリアフリーは障害者やお年寄りのためという考えが根強く、いっぽうで欧米でのバリアフリーはいつも自分と隣り合わせにある当たり前のものという考えが浸透しているのかもしれないと思っています。

車いすラグビーのプレイヤーとしての生活にいったん区切りをつけた今、沢山の方々にお世話になってきたからこそメダルが取ることが出来、様々な挑戦が出来てここまで来たのだということに感謝をしています。そして、自分が受けてきた恩をそのまま返すことよりも、恩を次の世代に送る人生を目指していきたいと思えるようになったのが、ユニバーサルジム(障害の有無にかかわらずトレーニングを行えるジム)を作ろうと思ったきっかけです。

2021年2月に、所属会社(ダッソー・システムズ)に車いすラグビーを辞めて自転車に競技転向したい旨と、ユニバーサルジムを中心とした事業を行いたい旨を伝えました。契約を切られてしまう覚悟で相談しました。その時、社長はじめ、皆さんが賛成してくれました。私のチャレンジを応援してくれることになったのです。会社には本当に感謝していますし、必ず会社のために競技も事業も結果を出したいと思いました。

いざ法人を設立しジムを作っていくとなると、資金面と物件探しは本当に大変でした。障害者の方が使えることが必須ですので、出入りに段差がある物件はNG。トイレに車いすが入るアクセスを確保できること。ある程度の広さを有していること。駐車場が有ること。そして予算等。千葉県は自分の出身地であること、そして当時千葉県には、障害者も普通に使えるスポーツ施設が無かったことから、千葉県内での物件を探していましたが、物件探しには半年近くかかりました。

千葉市にこれならと思う物件が見つかりましたが、トイレや店舗入り口の段差等、大幅な改修が必要となりました。その融資を受けるため、株式会社の設立に至りました。多額の負債を背負う形になりましたが、私自身覚悟を決めて活動していく決意でもありました。

この時に設立したTAG CYCLE株式会社では、「障害者の幸せが社会を幸せにする」を会社の理念として活動しています。障害者として、アスリートしてのキャリアを使って世の中の為に貢献していけるよう、まずはこのトレーニングジムからスタートを切りました。

重量のある機材や車いす利用を考えて床材を選びました

「IF WE」のスローガンの一つ「If we show the dream is possible, we can inspire people to create it」があります。私の夢は、たくさんの人に受けた恩をたくさんの人に送っていく。途方もない夢ではあります。一人では叶えることは出来ませんが、沢山の人に支えられて、協力してもらってこの夢を叶えていければと思っています。(次回に続く)

<バックナンバー>

官野一彦のIFWE日記:第5回 不貞腐れていた時期、気付き、そして恩送り

官野一彦のIFWE日記:第4回 シドニー以前と以後  挑戦と成長のサイクルを信じる

官野一彦のIFWE日記:第3回 五輪金メダル獲得に向けて・・・コミュニティと一緒に歩んだオリンピックロード

官野一彦のIFWE日記:第2回 海難事故、代表選考からの落選・・・困難を乗り越えてパラ五輪メダルで得たもの

官野一彦のIFWE日記:第1回 ”四足”のわらじでパラアスリートを支援 パラ五輪メダリスト・起業家 官野一彦

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