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People ProfilesNovember 9, 2020

官野一彦のIFWE日記:第1回 ”四足”のわらじでパラアスリートを支援 パラ五輪メダリスト・起業家 官野一彦

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Avatar 官野一彦 (Kazuhiko Kan’no)

ダッソー・システムズが掲げる価値、「IF WE」とは

ダッソー・システムズは、IF WE「もし◯◯ができたならば、世の中をこのように変えられるのではー」という4つの価値(コア・バリュー)を掲げています。お客様の課題解決であれ社会に関わる取り組みであれ、これらの価値をもとに自らに問いかけ、チームを作り、アイデアを形にしていきます。この「IFWE日記」シリーズでは、様々な分野に挑戦しているダッソー・システムズ日本法人の社員についてご紹介します。第1回目は、パラアスリートとして車椅子競技で活躍し、起業家としても活動する官野一彦です。

五輪出場経験を持つパラアスリート起業家として社長室に勤務

初めまして。官野一彦(かんの かずひこ)と申します。2017年10月にダッソー・システムズ株式会社に入社し、今年10月で4年目を迎えました。現在は社長室に在籍し、アスリート活動と並行して、主に会社の広報活動を行っています。

まずは簡単にですが、私の競技活動について紹介します。2006年からパラアスリートとして車いすラグビーを始め、2007年に日本代表強化指定選手になり、これまで2012年ロンドンパラリンピックに出場し4位、また、2016年リオデジャネイロパラリンピックでは銅メダルを獲得しました。2018年にオーストラリア・シドニーで開催された車いすラグビー世界選手権では、世界ランキング1位のオーストラリアを破り、日本チームとして初優勝も経験しました。2020年4月からパラサイクリングに競技転向し、2024年のパリパラリンピックを目指して日々トレーニングをしています。

競技活動以外にも、障害者を支援する活動を行っており、具体的には2020年4月にTAG CYCLE(株)を設立し、コロナ禍で練習場に困っているパラアスリートの方々の支援や、障害者全般に対する住宅コンサルや相談事業を行っています。

2018年シドニー車いすラグビー世界選手権大会を終えて、社内での優勝報告会の様子

私が車いすラグビーを始めたきっかけは、2006年に街で偶然出会った車いすラグビーの選手に誘われたことでした。2007年4月から千葉市役所に入庁し、強化指定選手として仕事と競技活動を両立させながら、海外遠征には有給休暇を充て、夢だった2012年ロンドンパラリンピックで4位入賞、また、2016年リオデジャネイロパラリンピックで銅メダルを獲得できました。

パラリンピックが終わった後に、「次の東京パラリンピックで金メダルを取りたい。そのために、環境を変えてもっと環境を変えて練習したい」と思っていたのですが、そのような中で車いすラグビーが盛んなアメリカのクラブチームでプレーできるチャンスが巡ってきました。「今だ!」と思い、それをきっかけに10年勤務した千葉市役所を退職することを決意し、転職活動を始めました。

「私達の会社に何ができるか教えて下さい」という言葉が決め手となったダッソー・システムズへの転職

2018年車いすラグビー日本選手権会場にて、家族連れで応援に来たダッソー・システムズ社員の方々と

JOC(公益財団法人日本オリンピック委員会)が運営しているアスリートと企業をマッチングする就職支援サイトの「アスナビ」に登録して、アスリート活動を支援してくれる企業を探しました。条件は二つ。一つはアメリカ遠征や現地での活動を理解してくれる事。もう一つは、パラアスリートとして事務所に所属して、競技普及、理解促進の講演活動を行うために、副業を認めてくれる事でした。

転職活動の中で、最後に面接をさせてもらった企業がダッソー・システムズ株式会社でした。「面接に来てくれないと思っていた。来てくれてありがとう。あなたが金メダルを獲得するために私たちの会社に何ができるか教えて下さい」と面接で嬉しい言葉をいただいたことが印象に残っています。ダッソー・システムズとの出会いに今でも感謝しています。

無事に面接を終え、2017年10月にダッソー・システムズ株式会社に入社しました。その後、2017年シーズンはミズーリ州セントルイスへ、2018年シーズンはフロリダ州タンパベイのチームに招聘され、シーズン中は、日本とアメリカをおよそ10往復、年間3~4カ月程アメリカのトレーニングやトーナメントに参加し、日本では代表合宿、チーム練習に参加する傍ら各地で20~30か所の講演に登壇しました。

入社以来、ダッソー・システムズの社員の皆さんは横断幕を作って各会場に応援に来てくれたり、社内イベントとして車いすラグビー体験会を実施して社内への認知を促してくれたり、日常的に多方面で支援をしていただいています。

2018年オーストラリア・シドニーで行われた車いすラグビー世界選手権で優勝した際も、帰国後に社内で報告会を開いてくださり、多くの社員と交流を持つことができました。

2020年3月末に車いすラグビーを引退することを決め、今はパラサイクリングに転向し、パリパラリンピックを目指して日々練習を重ねています。会社に競技転向とパリパラリンピックに挑戦したいことを伝えた際、「官野さんの挑戦は、私たちの会社が掲げている価値観、IFWEそのものです。ぜひIFWEの体現者としてがんばってください」と応援してくれることになりました。本当に感謝しかありません。

起業家・パラアスリート・社員として、社会課題の達成を目指す

今は、今春に立ち上げたTAG CYCLE(株)の代表として、障害者アスリート専用のトレーニングジムの建設や障害を持つ方への生活全般の相談事業を通して、コロナウイルスの影響でトレーニング場所を失った障害者や未来の若いアスリートの為の支援をしています。10月にはダッソー・システムズ株式会社との契約が更新されたので、今後も起業家・パラアスリート・社員として、これまでの経験を活かして社会課題の達成に邁進してより多くの人々に還元していきたいです。

少し長くなりましたが、ここまでご覧いただいた皆様、ありがとうございます。第1回目は自分自身の振り返りと、ダッソー・システムズとの出会いについて紹介しました。第2回目では、アスリートとしての挑戦について、パラリンピック出場や海外遠征について詳しく触れていきたいと思います。

車椅子ラグビーとは

1966年のアトランタパラリンピックではデモンストレーション 競技として初登場し、2000年のシドニーパラリンピックからは 公式種目になりました。日本では1996年11月に正式に競技が 紹介され、1997年4月に連盟が設立され、現在、 競技の国内普及と、 パラリンピックや世界選手権等の国際大会でのメダル獲得を目標に 活動を行っています。

車椅子マラソンとは

陸上競技(マラソン)の車いすクラスは、1984年ニューヨーク・アイスベリーパラリンピック(ロサンゼルス大会時)から正式種目となりました。選手はカーボンやチタンを使用し軽量化された「レーサー」と呼ばれる3輪タイプの競技用車いすを使用し、10数人の集団を形成して風の抵抗を避けながら、42.195kmを腕の力だけで疾走します。トップ選手になると平均時速は30kmを超え、観客は迫力のあるレースを楽しむことができます。

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