【第7章 計算品質標準化から知識化へ】SPDM as Virtual Sensor – AI活用に向けたデータ蓄積
第7章の前半では、ノウハウを標準化し、明示的に表現し取り扱いうしくみと、それによりデータの蓄積と再利用が可能になるという議論をしてきました。過去10年、Simulation Process & Data Management (SPDM) を活用した実績と実例が数多く示されてきています。シミュレーション技術に関する統合的な教育・啓蒙活動を行っているNAFEMSでは、SPDMにフォーカスしたワーキンググループやコンファレンスがあるほどです。SPDMにより蓄積されてきたデータをどのように活用するかというのが、第7章の後半のテーマになります。昨今AIが大流行していますが、AIの華麗な成功例やアルゴリズム的な話題に焦点があたり、そもそも根本的な話として、どんなデータをどうやって収集するかについての議論が不十分な印象があります。世の中で話題になっているAI応用のテーマの大半は、データはすでに大量に存在するか、収集する基盤ができているビジネス領域や社会のものばかりです。例えば、SNSからのデータ、コンビニや店舗からのPOSデータ、国家統計データ、監視カメラからの画像、地図データ、都市データなど、人間の社会的活動から得られるデータはすでに存在するか、今後も絶え間なく供給されることが確実なデータです。
一方、シミュレーションと設計の世界でのデータ蓄積は、企業活動の内部活動であって、データを蓄積し活用する明確な意識と意図をもたない限りは実現し得ないし、持続的な供給も保証されないのです。どこかには、保管されているであろうファイルやデータは、たいていは、検索困難で、連携性がなく、タグ付けされていない、情報欠落だらけの非構造的な、ディスク上のデータの集まりに過ぎず、連携性を持ち、整備されたタグ構造を持ち、構造的に整備されたデータとして活用するためには、それ相応のしくみと努力が必要です。それが、繰り返しげ言及しているSimulation Process & Data Managementの活用なのです。これまでの7章の記事を読まれた方はすでに、SPDMが、シミュレーション作業からデータ収集を自動的に行う、Virtual Sensorとしての役割にもなることにお気づきでしょう。
この記事から始まる7章の後半では、データを収集とその活用に焦点を当てます。では、そういうデータを収集すべきかの議論を進める前に、シミュレーション特有の、パラメータと属性データ(タグ)の違いについて、明確にしておく必要があります。このことは、若干混同されているきらいのある、シミュレーションにおける機械学習と、より良い設計とは何かを分析する方法論との根本的な違いを理解する助けにもなります。
<パラメータと属性データの違い>
設計業務を定義し、統計的に分析する属性データ(タグ)
- 定義:ジョブ特徴量のマクロな識別子
- 役割:設計業務を定義し、統計的に分析する
- 凡例:タグ付けされるテキストや数値データ、特に担当者、日付、製品、仕様緒元、アプリ名、モデル特性、条件、モデル変更情報、結果、判断など。問題
- データ量:(横軸)属性空間は数10~数100、(縦軸)ジョブ数は数100~数10万回
- 用途例:
・データの検索やジョブ特性の統計的分析
・過去データから、優れた対策案の特長抽出
・トラブル未然回避の設計案、最短経路設計
設計問題を定義し、数値分析的に解くパラメータ
- 定義:設計パターンの組み合わせ識別子
- 役割:設計問題を定義し、数値分析的に解く
- 凡例:CAE探索やサンプリング計算中に使われる数値データ、特に繰り返し計算時の設計変数や制約・目的値など。問題が決まれば明確に決まるデータ群。
- データ量:(横軸)設計空間は数10~数100、(縦軸)計算回数は1回~数万回
- 用途例:
・実験計画法や最適解探索で生成されるデータの数値的分析
・パターン分析からの設計ノウハウ抽出
・パラメータ・データセットからの代理モデル生成
添付された図とともに、上記にまとめた内容をご覧いただければ、違いを明確にご理解いただけるでしょう。パラメータのデータ量のところで、計算回数が1回からとなっていることに着目してください。これは、自動化は行うけれども、繰り返し計算は行わない場合を意図しており、実のところ大半のジョブは一回限りで、(属性データであるところの)モデルを変更したり条件を変えて再度実行するというパターンが多いのです。それが、計算回数1回の意味です。1ジョブの中で構成されるのがパラメータのデータ・セット、複数のジョブで構成されるのが、属性データ・セットということになります。
パラメータのデータ・セットから、寄与度・感度などの数値分析、パターン分析、従来近似モデルと称されてきた代理モデルを生成することができます。昨今機械学習を前面に出して、新しいAI的アプローチを想起させるような事例が見受けられますが、実質的には、従来活用されてきた応答曲面近似、Krigingモデル、ニューラルネットワーク・モデルなどとほぼ同じアプローチであり、特段目新しい手法ではありません。画像のパターン認識を応用した結果の自動判定の事例も出てきているのは、シミュレーション領域では新しい試みといっていいでしょう。
一方、属性データの蓄積は、この数年でAI的な用途での活用がようやく認識され始めてはいるものの、具体的な手法や成果はこれからです。しかし、ここで強く指摘しなければならないのは、AIは手段であって目的ではないこと、データを蓄積することでどんな成果を得たいのか、どのように活用したいのか、その目的を明確にしない限りは、逆にどんなデータを蓄積すべきかも明確にならないということです。今回記事のテーマ名は、“SPDM as Virtual Sensor”でした。SPDMを、属性情報を収集するための“Sensor”、実験のセンサーと対比すればまさに、Virtual Sensorの役割を果たしていることがわかるでしょう。次回は、どのような属性データを取得すべきかについて議論してみます。
【DASSAULT SYSTEMES 工藤啓治】
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