ダッソー・システムズの社員で構成する「WIN」(Women’s INitiative)チームでは、当社のコーポレートポリシーでもあるダイバーシティ&インクルージョンを進める活動をサポートしています。
これまでも、介護とキャリアの両立、職場のダイバーシティー、子どもとのコミュニケーションなど、様々なテーマで社内活動を行ってきました。
その活動の一環として、今回は、当社社員でパラアスリートの官野一彦による、当社社員の子どもたち向けのオンライン講演を開催しました。夏休みの終わりの時期の開催ということもあり、30名以上にご参加いただきました。
官野一彦プロフィール
サーフィン中の事故により下半身不随となり、車いす生活となる。2006年から車いすラグビーを始め、日本代表として世界の舞台で戦うようになり、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと2大会連続でパラリンピックに出場。リオでは日本車いすラグビー史上初の銅メダルを獲得。現在はパラサイクリング競技で2024年パリ大会出場を目指し活動中。
「苦手なことややりたくないこと、できないことに直面したときには、できるかできないかじゃない、どうやったらできるかを考えよう」と官野一彦さん。
けがによって、生きていく希望や自信を失いかけたこともあったということですが、強く生きていこうという気持ちを持ち、目標に向かって一所懸命頑張り車いすラグビーで初のメダル獲得まで努力されたこと、そして現在はパラサイクリングでのパリ大会出場という新たな目標に向けて努力されていることをお話しいただきました。
車いすラグビーの本場、アメリカで生活していた時に、外でよくトレーニングをしていたという官野さん。フロリダ州にいるときに海沿いを走っていたら、野生のイルカが横を飛んでいたこともあったとか。
「日本では体育館でしか走っていなかったので、外を走ると当たり前だけど風を感じたり、太陽の光、景色が流れる、色々な人とすれ違い挨拶を交わす…体育館では感じることのできない体験をアメリカでした時に、新しい環境は自分の知らない発見がたくさんあって、もっと成長できるチャンスがある」と思ったそうです。
リオ大会後、ラグビーでは強化選手から外れ東京大会の代表入りが叶わなかった官野さん。ラグビーを辞め、外を走る自転車で代表入りしたいと思ったものの、タイミング的に東京には出られないことがわかり、次のパリに向けて、いち早く準備を進めるべく、競技転向を決意。
「パラサイクリングは欠損・視覚・脳性まひ・肢体不自由ありの4つのカテゴリーに分かれており、私は肢体不自由の『H』クラスになります。『H1~H5』までクラス分けがあり障害の重い方から2番目の『H2』になります。日本ではほとんど選手がいません。20人程度かと思われますが、ヨーロッパでは人気があり、たくさんの選手がいます。ダッソー・システムズの本社があるフランス・パリで走ることができたらどんなにすばらしいだろう、と今からとてもわくわくしています。パリ大会への代表入りができるよう、一日一日を大切に、頑張っていきたいと思います」
講演終了後、参加されたお子さんや保護者の方からは、以下のような感想が寄せられました。
・障がいを持っても、自転車競技をやろうとする前向きな気持ちがすごいと思いました。
・パラリンピックのニュースを連日見ながら、「次のパラリンピックでは官野さんの名前が聞けるのかも!!」と娘たちと話し、いまから一緒にワクワクしています。
・3年後のパラリンピックで優勝するのを楽しみにしています。
・本当に素晴らしいセッションでした。官野さんの、人生の中で起こる様々なことに、真摯に対面し、切り拓かれている様を伺い、心打たれました。
ダッソー・システムズ では、今後もWINの活動を通じて、ダイバーシティ&インクルージョンを進める活動を行ってまいります。
これからもダッソー・システムズならびにWINの活動にご注目ください!