設計・シミュレーションMay 26, 2015

【デザインとシミュレーションを語る】10: ソフトウエア・ロボットの誕生

どんなシミュレーションにも共通していることは、条件を変更して、コンピュータ上で(=Virtually)何度も繰り返せる(= Repeatability、再現性)ことにあります。
header
Avatar 工藤 啓治 (Keiji Kudo)

どんなシミュレーションにも共通していることは、条件を変更して、コンピュータ上で(=Virtually)何度も繰り返せる(= Repeatability、再現性)ことにあります。

ゲームだったら、いろんなシナリオで失敗を繰り返しながら目的に辿りつく。住宅ローン・シミュレーションだったら、原資、期間、利率を変えてみる。フライト・シミュレーションだったら着陸失敗の経験から学び、技能を高めて学習していく。気象シミュレーションであれば初期条件や境界条件を変えて、予測の変動を見る。すべて、パラメータや操作を変えて、繰り返し試すことができるのですね。現実では何度も、あるいは一度でさえできないことを、何度も何度もできてしまうことの価値は測り知れません。そこから、次のテーマが自然と出てきます。「何度も繰り返す作業を、工場のロボットのようにソフトウエアで自動化できないだろうか?」。その疑問を、航空機のジェットエンジンを設計する会社で、突き詰めた人がいました。

以下は、以前私がいた会社の創業者Dr. Siu Tongが、”Software Robot”というアイデアを思いついたときの経緯を書いたものです。有名な逸話だったのですけれど、最近は広められる機会も少なくなってしまったので、このブログに日本語訳付きでぜひ紹介しておきましょう。革新的な技術が生まれる時は、なんらかのドラマチックな出来事があるのだということを示す、実例でもあります。産業革命を引き合いに出しているところは、いかに彼がソフトウエア・ロボットという新しい思いつきに興奮していたかが、想像できますね。実際そのぐらいすごい技術だったのです。彼が開発したEngineousというツール(今では、Isightとして知られています)は、GEの多くの事業部で使われ、80年代−90年代前半GEの技術向上力とビジネス成長に大きく貢献したことが知られています。

————————————————————————————————————– 以下原文 ———– I was at MIT late 70’s. went to GE Aircraft Engines at Lynn, Massachusetts in 1979 for a summer job interview. I asked the GE manager what would I be doing if I came to work there. He said I would be taking one of their software for turbine disk analysis and try different shape, materials, and flow conditions, and then plot the results at the end of the summer so he could make a decision on the final design. I told him that seems very boring and asked could I write a program to automate the task. He said “it couldn’t be done, otherwise, they won’t be a few thousands of their engineer doing that kind of work everyday, not just a summer”. I said ok and on the way back I recalled the lecture on Industrial revolution where people invented machine to automate tedious factory jobs and obtained significant productivity gain. Here in the 20th century where white collar workers are doing similar repetitive motion on the computer key board except no one can tell that walking by. I thought I will come to show them how to do it right. The next day, GE mailed out a rejection letter. Not having much rejection previous to that, my ego was hurt. At that time, I had finished my Ph.D research on an experimental project, past my qualify exam, and was about to start my thesis. I decided to quit that work and started a new thesis with a different department to prove that “it can’t be done”. 4 years later, I showed sufficient promise of this approach GE Corporate R&D hired me. I spent 11 years and got $12M funding to development Engineous, the commercial version of my idea at MIT. The software that was said “it can’t be done”. ———————————————————————————————————- 以下訳文 ———– 1970年代の後半、私はMITの学生であった。1979年の夏休みのインターンシップの面接を受けるために私はGEエアクラフトエンジンへ出かけた。私はGEのマネージャーと面接し、もし採用されたらどんな仕事をすることになるだろうかと尋ねた。彼は「タービンディスクの解析をするソフトウェアを使い、異なる形状、材質、流量条件を試してもらおう。夏の終わりにその結果をプロットしておいてほしい。私がその中から最終デザインを決める」と言った。私にはその仕事はとても退屈に思えたので、プログラムを書いて、タスクの処理を自動化してはどうか、と提案してみた。彼は「そんなことできっこない。もしできるなら、ひと夏だけでなく、毎日そんな仕事をしているエンジニアが数千人もいるわけがないだろう」と言った。 「分かりました」と私は答え、家路につくその道すがら、私は産業革命の授業のことを思い出していた。産業革命では退屈な工場の仕事を自動化する機械が発明され、生産性は劇的に改善した。20世紀の今日、ホワイトカラーの労働者たちはコンピュータのキーボードに向かって同じような繰り返しの仕事をしている。ただそれが目に見えないだけなのだ。私は自動化を実現する方法を彼らに示そうと思った。しかし、翌日、私はGEから不採用の通知を受け取った。それまで私は拒否された経験はほとんど持っていなかったので、私の自尊心は大いに傷ついた。当時私は(航空宇宙関連の)Ph.Dを取得するための研究を終えており、試験にも通っていて、後は論文を仕上げるだけだった。しかし、私は決心した。いまやっている研究はやめて、「できっこない」と言われたことができることを示すために別の学科で新しい博士論文を書くことを。 4年後、私は十分な成果を上げ、GE中央研究所は私を雇い入れた。私はそこで11年過ごし、GEは私のプロジェクトのために1200万ドル投資してくれた。私のプロジェクトは「エンジニアス」と名づけられ、これこそがかつて「できっこない」と言われたソフトウェアなのだ。 ————————————————————————————————————–

GEでの彼のプロジェクトから、最適設計支援ソフトIsightが生まれ、その後この分野が大きく世界に切り拓かれたのです。

【SIMULIA 工藤】

読者登録はこちら

ブログの更新情報を毎月お届けします

読者登録

読者登録はこちら