それは、子どもを持つ親であれば誰も聞きたくない知らせでした。
Seed夫妻は、娘Annikaが生まれた3日後、Annikaに複数の心疾患があることを知りました。その中には、極型ファロー四徴症(肺動脈閉鎖症に至ったファロー四徴症)が含まれていました。診断から3日後、Annikaはリスクのある開胸手術をボストン小児病院で初めて受けました。
生命を脅かすこの疾患に対処するため、Annikaは2歳になるまでに6回の手術を受けました。幸いなことに、Annikaを担当した医師たちはこの分野の第一人者であり、Annikaが6歳になるまでに受けた、3回の心臓切開手術と5回の心臓カテーテル手術の試行錯誤の過程を通して、医師たちはAnnikaの経過を観察しながら彼女にとって最善の処置を見出すことができました。
最初に衝撃的な診断内容を聞いた時、Seed夫妻は自分たちの無力さに打ちひしがれましたが、Annikaがボストン小児病院で2年間に受けた精力的な治療は、彼らに、Annikaも他の人と同様、充実した人生を送ることが可能になるという希望をもたらしました。
Seed一家がボストン近郊に住んでいたことも幸いしました。というのも、ボストン小児病院の医師とそのチームは、当時最先端のテクノロジーにアクセスできる立場にあり、そこに、秘密兵器とも言えるリビング・ハート・プロジェクトが含まれていたからです。
2014年に始まったリビング・ハート・プロジェクトでは、心臓のあらゆる機能を再現した世界初の3Dのバーチャルな心臓のデジタルモデルが開発されました。これを活用することで、外科医は手術前に治療計画をテスト、検証でき、チーム内の認識を一致させ、手術の成功率を高めることができます。
リビング・ハートはまた、治療の意思決定に対する患者の家族の信頼や当事者意識を高めます。患者の体内構造と血管を鮮明な3Dで見て、何が正常に機能していないのか、この状態を改善するために外科医が何を計画しているのかを理解できるため、Seed夫妻が当初に感じたような無力感に家族が打ちひしがれることはもはやありません。リビング・ハート・プロジェクトのおかげで、医療チームも家族も、患者ごとに個別化された外科的処置について理解でき、関係者全員が選択された処置方法に対する信頼を高めることができます。
母親のAllisonは述べます。「親である私たちが医療チームの一員としての当事者意識をもって深く関われたこと、そして、リビング・ハートの技術が医療現場でどのように作用しているかを実際に目にし、その可能性を確認できたことは、大変素晴らしいことでした。希望で胸がいっぱいになりました」
今日、Annikaは健康なティーンエージャーに成長しました。母親のAllisonは American Heart Association(アメリカ心臓協会)に勤務し、小児心疾患治療におけるテクノロジーの役割を高めることに貢献しています。リビング・ハートの心臓のモデル化で用いられた画期的な技術は、現在、他の臓器をモデル化するために活用されており、いずれは人体全体に応用される予定です。
外科医の視点からのバーチャルツインの活用
ボストン小児病院とハーバード・メディカル・スクールで小児心臓外科医を務めるDavid Hoganson博士は、Annikaのような極めて複雑な症例に対して解剖学的修復術を計画、実行するのにあたり、バーチャルツインを活用しています。バーチャルツインの3Dのデジタルモデルとシミュレーションを活用すると、想定外の結果を減らし、小児心臓手術の成果を改善することができます。
「リスクが特に高い患者の治療には、経験以上に綿密な計画が必要です」と、Hoganson博士は述べます。「計画が綿密なほど、あらゆる段階で余裕が生まれ、最終的には臨床結果の向上につながります。バーチャルツインの技術を活用すれば物事をほぼ完璧に制御することができます」
ボストン小児病院のHoganson博士とそのチームは、早い段階でリビング・ハート・プロジェクトと提携し、その最先端技術を取り入れました。成功事例が報告されるたびに、バーチャルツインの有効性に対する信頼が高まり、それを裏付ける証拠が増えています。また、裏付けとなるデータやピア・レビュー(査読)済みの論文が発表されるに伴い、リビング・ハートはより広く受け入れられ、採用されるようになっており、いずれは治療のスタンダードになる可能性があります。
バーチャルツインが医療分野で活用されるようになった経緯
バーチャルツインは、何年もの間、航空宇宙、製造、消費財、小売などのさまざまな業界で活用されてきました。では、どのようにしてライフサイエンス&ヘルスケア業界で人体に応用されるようになったのでしょうか。
それは、Seed家の場合と同様に、親にとって耳をふさぎたくなるような知らせから始まりました。
Steve Levine氏の娘は、先天性心疾患を持って生まれました。右心室と左心室が逆に配置されているため、心臓の自然な機能が損なわれ、すでに弱まっている心室が機能不全に陥る可能性が年齢とともに高くなるというものでした。患者ができるだけ長く生きるのを助けたいと願っている医師にとって、このような症状の変化は謎に満ち溢れたものでした。
Levine氏の娘の心臓の最初の機能不全は刺激伝導系で起こり、医師が予想していたよりもはるかに早い2歳でペースメーカーが必要になりました。また彼女は、生命を脅かす合併症が30歳前後で起こるであろうと診断されました。このことが示すとおり、彼女の症例と将来は不透明なものでした。Levine氏は、娘の合併症が発症する年齢になる前にできる限りのことをしようと考えました。また、娘の命だけでなく、心臓の構造に異常のあるすべての患者の命を救うことに、自分自身と自分のスキルを捧げることにしました。
専門教育を経てエンジニアになったLevine氏は、自動車や航空宇宙産業向けの緻密な3Dの衝突シミュレーションの設計を何年も担当していました。そして、次のように考えました。「医療分野にも同様の技術を応用できないか?この技術を使用して人間の心臓のバーチャルモデルを作成できれば、自動車メーカーや航空宇宙企業が車両のバーチャルなシミュレーションから学ぶのと同じように、医療現場での意思決定に必要な分析情報を提供できるのではないか?」
ダッソー・システムズの一部門で最高戦略責任者を務めていたLevine氏は、安全で効率的な自動車と航空機の開発を支援するだけでなく、世界と人々をより持続可能なものにするというダッソー・システムズの目標に触発され、娘が20代半ばだった2014年にリビング・ハート・プロジェクトを立ち上げました。このプロジェクトは、「工学、科学、生物医学の専門知識や技術を統合することで安全で効果的な心血管系の製品や治療の開発を進め、最先端の科学を患者ケアの改善に役立てる」という野心的なビジョンを掲げました。つまり、世界中の専門家が連携し、これまでにないことを達成するだけでなく、それを世界中の医師が利用できるようにするというビジョンです。
「Living(生きた)」心臓を作成する作業は、ドナーの心臓のMRI画像とCT画像をスキャンすることから始まりました。そして、スキャンした画像をもとに構築された科学的に正確な心臓の3Dデジタルモデルに、新たに心筋組織のモデルと詳細な繊維配向を加えて再構成、データを補強します。また、綿密な刺激伝導系、機能を完全に再現した弁、心腔をはじめ、自然が何百万年にもわたって完成させた複雑な心臓のディテールもすべて必要です。最終的には、血流の循環系モデルを作成し、リアリスティックな人体の内部に心臓を配置して、安静時とストレス下でテストできるようにしました。このようにして完成したのが、心臓の機能を科学的に正確に再現したコンピューターモデルです。このモデルは実際の心臓と同じ原理で機能するため、このモデルでのバーチャルな3Dシミュレーションは、研究者が新しい治療法を開発し、外科医が複雑な医療処置を計画、テスト、練習し、全ての関係者(患者とその家族、心臓専門医、放射線科医、外科医など)が、より効果的にコミュニケーションをとるのに役立ちます。
リビング・ハート・プロジェクトは成功しました。Levine氏は述べます。「私たちは、自らを取り巻く外の世界を変革するためにシミュレーションを活用してきました。そして今こそ、私たちの内なる世界を変革するときです。人体のバーチャルツインを構築することで、医薬品が疾患にもたらす効果から複雑な手術の結果に至るまで、見えないものを視覚化、テスト、理解、予測してから治療を開始することが可能になりました。バーチャルツインは人体のほぼ全てに対して構築でき、一人ひとりに合わせて個別化することが可能です」
複雑な医療処置におけるバーチャルツインの次なる応用とは?
2022年に8年目を迎えたリビング・ハート・プロジェクトは、患者の人生を変えるものから医療業界を変革するものへと成長しました。現在、このプロジェクトは、米国食品医薬品局(FDA)および24ヵ国の175を超えるメンバー組織から支援を受けています。病院は手術の計画と結果の予測に、企業は新しい治療法の設計や動物実験の代替としてリビング・ハートのデジタルモデルを活用しています。FDAは臨床試験における人間の代替として評価しています。リビング・ハート・プロジェクトの成功により、姉妹プロジェクトのリビング・ブレイン(脳)、リビング・ラング(肺)、リビング・レバー(肝臓)に加え、整形外科治療の改善を目指す、完全な機能を備えた循環・筋骨格系モデルも生まれています。
現在、VR(仮想現実)、AI(人工知能)、3Dイメージング、仮想シミュレーションを使用して医療を飛躍的に向上させる事例が世界中で見られるようになっています。最近では、ブラジルと英国の外科チームが共同でVR技術を使用し、脳がつながった結合双生児を安全に分離することに成功しました。また、フランス初の民間放射線治療センターであり、放射線外科と放射線療法を専門とするH. Hartmann Instituteは、治療室の室内や設備、治療の流れを没入型バーチャルツインで再現し、患者がVRで事前に放射線治療を疑似体験できるVORTHExプロジェクトを立ち上げました。このVR体験によって患者は、より安心して実際の放射線治療に臨むことができます。さらに、世界中の研究機関や医療関係者が、心臓と脳だけでなく、肺や皮膚、最終的には人体全体のバーチャルツインを構築するためのテクノロジーを開発、テスト、利用し始めています。
Levine氏は述べます。「リビング・ハート・プロジェクトは、私たちが協力すれば、人体の仕組みを体系的に理解し、再現できることを証明しました。次のステップはその対象を広げ、脳、肝臓、腎臓、肺などのすべての重要な臓器と人体のシステムを構築することです。これらのバーチャルツインの構築は心臓モデルほどには進んでいませんが、リビング・ハートで作られたテンプレートを利用すれば、リビング・ハートの時よりもはるかに効率的に実現することができるでしょう」
また、バーチャルツインを3Dプリントなどの他の技術と組み合わせることで、医療関係者の複雑なトレーニングや患者固有のソリューションの可能性がさらに広がります。たとえば、パリとボストンに拠点を置くスタートアップ企業、Biomodexは、医師が脳動脈瘤手術などの複雑な医療処置の予行練習に利用できる、生物学的にリアリスティックな触覚のシミュレーターを作成しました。これは、外科医のトレーニングを発展させるのにも用いられ、処置の安全性の向上と結果の改善につながっています。
レンヌ大学病院でBiomodexのシミュレーターを利用しているインターベンション神経放射線科医のAnthony Le Bras博士は述べます。「処置前の予行練習にこのシミュレーターを使用することで、特定のアプローチがうまくいくかどうかを事前に知ることができ、うまくいかない場合は、どの医療機器がより効果的かを判断できるようになります。このシミュレーターは医師の自信を高めるだけでなく、手術にかかる時間を短縮し、実際の手術の際に合併症が起きるリスクを減らす効果ももたらしています」
複雑な医療処置におけるバーチャルツインの活用は、患者とその家族の人生を変え、命を救うことにつながっています。バーチャルツインのこのような高度なテクノロジーは、規制の枠組み、医療機器の開発、個別化医療の提供、患者と介護者に対する治療の説明などにバーチャルなモデリングとシミュレーションを組み込むことで、ヘルスケアのエコシステムを変革する構えです。
ヘルスケア業界がバーチャルツインの採用を進めるにつれて、世界中のイノベーターが斬新なアイデアを生み出し、医療の専門家はこれまでにない方法で知識を獲得し、経験を共有して、患者を治療し、未解決の医学の謎に安全に取り組めるようになるでしょう。
Levine氏の娘は、今33歳になり、医学士と医学博士の学位を持つ小児神経科学者として活躍しており、小児神経障害分野の困難な課題の解決にリビング・ブレインを役立てられる日を心待ちにしています。そして彼女の心臓も以前と比べて健康に成長しました。
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Top image: A demo of the Living Heart Project technology showing how doctors, patients and others can observe a scientifically accurate model of a human heart.