「子どもたちは、今日も無事に帰宅できているでしょうか?」
もしこの問いが、世界中の自治体トップや職員の方々に投げかけられたとしたら、即座に「もちろんです」と返ってくることを、誰もが願うことでしょう。しかし実際には、地域の安全は決して一様ではなく、さまざまな要因が複雑に絡み合い、時には自分たちの手の届かないところで左右されることもあります。AIや「スマートシティ」といったテクノロジーが、都市の暮らしをどのように変えるのか。そんな大きな期待が語られる一方で、現場で課題に取り組んでいる人たちは、市民が直面する日常的な問題や都市の発展を阻む要因が、十分に反映されていないと感じることもあります。

だからこそ、AIを活用したテクノロジーやスマートインフラを取り入れる際には、地域の課題をより具体的かつ現実的な視点で捉え直すことが重要です。たとえば、「交通安全」はその代表的なテーマの一つと言えるでしょう。
交通量の増加、道路の複雑な構造、歩行者や自転車との混在など、都市部では日常的に交通事故のリスクが存在しています。静岡県東部に位置する裾野市も例外ではなく、こうした課題に向き合ってきました。そして2022年には、「スマート道路灯を活用した交通安全課題に対する実証実験」の提案を受け、この取り組みを積極的に受け入れました。
裾野市について:人口・地理・そして地域が抱える課題
人口およそ5万人の裾野市は、豊かな自然に囲まれた工業都市です。東には箱根外輪山、西には愛鷹連山と豊かな自然に囲まれています。
富士山の麓に位置するこの地域では、冬季に気温が大きく下がり、路面が凍結するおそれがあります。さらに、起伏の多い地形に加え、市内には高齢のドライバーが多く、通学時間帯には多くの子どもたちが徒歩で登下校する道路を日常的に運転しています。こうした道路では、安全確保のための見守り人員が十分に確保できていないという課題もあります。
このような裾野市の地域課題と、スマートシティ技術の効果検証に対する前向きな姿勢から、スマート道路灯が交通行動にどのような影響を与えるかを検証する実証の場として、裾野市が理想的な地域とされました。 NTTドコモビジネス ビジネスソリューション本部 スマートワールドビジネス部 スマートシティ推進室 担当部長の坂倉俊介氏は、「目標は、個々の道路灯をデジタル化するだけでなく、道路インフラ全体に分散配置された道路灯をスマートシティ・インフラの一部としてさまざまな用途に活用できるビジョンを描くことでした」と語ります。

このプロジェクトが成功すれば、交通安全にとどまらず、より広い視点でスマートインフラを実装していくための前進となる——関係者の間では、そんな期待が共有されていました。
スマート道路灯とは?
スマート道路灯とは、センサーやカメラ、ネットワーク通信機能、クラウドとの連携機能などを備えた道路灯のことを指します。歩行者、自転車、車両の動きをリアルタイムで把握できるようにするスマートインフラの一形態であり、都市の安全性や利便性の向上を目的としています。

スマート道路灯の主な特徴
スマート道路灯には、次のようなさまざまな機能が備わっています:
- LEDランプ: 省電力かつ高効率で、長寿命。メンテナンスの手間も少なく、運用コストの削減につながります。
- 5Gモバイルネットワーク: 高速かつ大容量通信を実現し、複数のスマート道路灯間でのデータ連携や、リアルタイム映像のモニタリングを可能にします。
- AIカメラ(エッジAI): 車両や人の動きをその場で認識・追跡し、交通の流れや異常の検知をリアルタイムで行うことができます。
- 環境センサー:騒音、照度、温度、湿度、気圧、ジャイロ(傾きや動き)などの情報を収集し、都市環境の把握や異常検知に役立ちます。
- プロジェクター(路面描画):「速度注意 」や 「凍結注意」などの警告を、路面に直接映し出すことが可能で視覚的に安全を促します。
スマート道路灯の導入による主な効果
スマート道路灯は、都市の持続可能性を高めながら、地域の暮らしやすさの向上にも貢献する可能性を秘めています。主な効果として、以下が挙げられます:
- 交通安全の向上:路面の凍結や落下物など、危険をいち早く検知してドライバーに警告することで、事故のリスクを低減します。
- 渋滞の緩和:センサーやデータ解析によって交通パターンを分析し、スムーズな走行をサポート。収集した情報は、交通流改善に向けた意思決定にも活用できます。
- 運用・保守コストの削減:故障や劣化の兆候を遠隔でモニタリングできるため、効率的な点検・修理・交換が可能になります。
- 省エネとCO₂排出削減:LEDランプの活用によりエネルギー消費を抑え、CO₂排出量の削減にも貢献。都市の環境目標達成に寄与します。
裾野市の課題にスマート道路灯でアプローチする
「スマート道路灯プロジェクト」の実現には、多くの関係者の連携と協力が不可欠でした。2020年、通信事業者であるNTTドコモビジネス、照明機器メーカーのスタンレー電気、電子機器メーカーの加賀FEIの3社による、道路灯のデジタル化を目的とした共同プロジェクトとして始動、2021年には、プロジェクト規模拡大に伴い、ダッソー・システムズが新たなパートナーとして加わることとなりました。
ダッソー・システムズ パブリックセクター事業開発ディレクターの熊野和久は「わたしたちはこのプロジェクトを、主に3つの側面からご支援させていただきました。まず1つ目は、裾野市をパートナー候補としてご紹介したこと。2つ目は、総務省のプロジェクトをご紹介したこと。そして3つ目は、最も重要なこととして、このプロジェクトの構想の明確化を支援するためのモデリングとビジュアライゼーションの技術を提供したことです。」と語ります。
フェーズ1:交通事故リスクの高いエリアの特定
スマート道路灯プロジェクトの初期フェーズでは、裾野市が市内の交通事故リスクが高いとされる場所のリストをチームに提供しました。なかでも特に注目を集めたのが、小学校と児童センターの前を通る市道です。多くの子どもたちが日常的に徒歩で通学する道路であり、地域住民の間でも安全対策の強化が急務とされていました。こうした背景から、この地点は、スマート道路灯を活用した交通安全対策の効果を検証するうえで、最適な設置場所として選定されました。
フェーズ2:CATIAを使用したスマート道路灯モデルの設計と、3DEXPERIENCEプラットフォームによるデータの可視化
まず、既存の古い電柱を再現するために、CATIAの高度なCAD(コンピューター支援設計)機能を活用して3Dモデルが作成されました。さらに、3DEXPERIENCEプラットフォーム・オン・ザ・クラウドでは、バーチャルツイン技術を用いて、小学校と児童センター周辺のエリアを仮想空間上に再現。スマート道路灯が設置された際のイメージを、シミュレーションとして可視化しました。NETVIBESのテクノロジーを活用することで、例えば「一定時間内に通過した車両数」や「速度超過車両の数」といったデータを収集し、GEOVIAアプリケーションを通じて3Dモデル上に表示することが可能となりました。こうして、バーチャルツイン上でどのようなデータが収集・可視化され、どのように解釈できるのかを具体的に確認できたことで、自治体の関係者にとっても、今後より広範なスマートインフラ構想の中でデータの可視化のプラットフォームをどう活用できるかを具体的にイメージする手助けとなりました。
フェーズ3:1年間にわたる実証プロジェクトの実施
2023年、本プロジェクトチームは、総務省が実施する「地域デジタル基盤活用推進事業」に採択され、裾野市内の対象エリアにおいて、1年間にわたる実証プロジェクトを実施することとなりました。実証では、スマート道路灯を活用し、AIによる検知結果をもとに、デジタルサイネージや路面投影を通じて走行中の車両へ注意喚起を行いました。「複数の道路灯を低遅延で接続でき、安定したリアルタイム映像監視に必要な大容量データをサポートするローカル5Gの利用が有益であった」と、NTTドコモビジネス ビジネスソリューション本部 第五ビジネスソリューション部 ビジネスデザイン部門 主査の坂田光一郎氏は語ります。

スマート道路灯プロジェクトから得られた初期成果と評価
スマート道路灯プロジェクトの結果は、概ね前向きなものとなりました。実証の結果によると、法定速度を超えて走行していた車両のうち、時速61km以上の「高速域」に該当する割合については、約58%の削減が確認されました。目標にはわずかに届かなかったものの、充分な効果が得られたことが示されています。また、アンケートでは、「AIによる検知に基づく路面表示のほうが、常時投影よりも減速効果が高いと感じる」と回答した人が73%にのぼり、受容性の高さが確認されました。

今回のプロジェクトを通じて、ダッソー・システムズは、3DEXPERIENCEプラットフォーム・オン・ザ・クラウドのような可視化プラットフォームが、道路インフラの管理に携わる方々の安全対策に活用できることを、官公庁関係者に対して具体的に示すことができました。エッジカメラや環境センサーで取得したデータを取り込みながら、道路灯の設置状況を仮想空間上に直感的に再現した3D都市モデルの構築が可能であることも、今回の実証を通じて確認されました。
「通信インフラ、スマートシティ、ヘルスケア、教育、ロボット、エネルギー、セキュリティなど、当社のあらゆる事業領域において、3Dの可視化シミュレーション技術が今後のイノベーションのカギを握ると考えています。」(坂倉氏)
自治体の関係者からは、ユーザーインターフェースの使いやすさにも高い評価が寄せられました。「プロジェクトの報告会では、プラットフォームを見た自治体の担当者が非常に驚いていました。実際の場所が3Dで再現され、使いやすいインターフェイスで収集したデータを直感的に見ることができたのです。今後、さまざまな用途で活用したいツールだと実感しました。」(坂田氏)
スマート道路灯プロジェクトは、将来的な活用可能性の検討にもつながりました。ダッソー・システムズは、京都女子大学との連携のもと、ワークショップや報告会を通じて、さまざまな活用アイデアを発表。将来的には、不審者の検知や災害時のリアルタイム監視といった、新たなユースケースの可能性も共有されました。
スマート道路灯とインフラがもたらす未来
都市生活の質を向上させるスマートシティ・インフラの導入には、決まった正解や単一のアプローチがあるわけではありません。今回の裾野市のプロジェクトを通じて明らかになったのは、地域の交通安全を向上させるためには、多くの関係者の協力と熱意が必要であり、同時に、自治体は限られた予算の中で運営しているという現実でした。
とはいえ、スマート道路灯プロジェクトのように、地域課題に対してきめ細やかに取り組むプロジェクトは、デジタル技術のわずかな進化によって安全性を高められることを示すだけでなく、交通安全を超えて、防犯や災害対策など、さまざまな課題解決に貢献できるスマートインフラの可能性を広く提示するものとなりました。3DEXPERIENCEプラットフォームのような基盤が、その実現を支える力になることも改めて確認されました。
NTTドコモビジネスとスタンレー電気は、今後もダッソー・システムズとの連携を継続し、ビジョンの実現に向けた取り組みをさらに進めていきたいと考えています。スタンレー電気 電子技術本部 電子応用技術部 応用技術課 廣瀬和則氏は、「今後、継続的な協業を通じて、より安全・安心で持続可能な都市づくりに向けた取り組みのさらなる拡大を目指したい」と語りました。


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